3月31日から4月2日まで、石巻市、仙台市で震災被災者を救援するボランティアにとりくんだT・Kさん(京都大学法学部四年生)に話を聞きました。
仙台に住む父から、手伝いにきてほしいと連絡があり、関西に住むいとこ四人と仙台行の深夜バスに乗り、31日朝、仙台につきました。仙台時代の友人も四人も協力してくれ、31日と4月1日は石巻市、2日は仙台市で、津波の被害にあった家の泥のかきだしや家財の撤去などをおこないました。
現地にいってみて思ったのは、被害のすごさです。テレビでは見ていましたが、実際にいってみると〝ウワァー〟と声をあげてしまうほど大変な状況でした。生活の基盤であり、いろんな思い出のつまった住宅が流されたり、めちゃめちゃになっているのを目の当たりにして、つらい気持ちになりました。
31日は、まず、二軒の畳を運びだし、つぎの家では、一階にたまった泥と畳、家具をだしましたが、重油と紙パルプのようなものがまじった泥に苦労しました。さらに近所のおばあちゃんから頼まれ、泥まみれになったピアノを運び出したとき、いろんなことを思い出されたのか、そのおばあちゃんが泣き出しました。翌日に行った家では、タンスに汚れていない服があったので、家の方に残しておきましょうかと尋ねたら、〝捨ててほしい。見たら震災を思い出すから〟とも言われました。みなさん、ほんとうにつらい気持ちなんだと思いました。
被災したみなさんは、言葉にできないつらい気持ちをもちつつ、あきらめていないし、がんばんなきゃ、がんばって生きたいと前をむき、希望をもっておられたことに自分自身が励まされましたし、手伝ったどの家でも、ものすごく感謝され、自分のほうが助けられた気持ちになりました。
2日は仙台市の農家の庭で、泥まみれになり、数十センチもたまった泥をかきだしましたが、一日みんなでやっても五分の一ぐらいしかできませんでした。人手がまったく足りていません。近所の方からは、〝どうやってボランティアを頼めばいいのか〟〝うちでもお願いしたい〟〝どこに申し込めばいいのか〟と声をかけられました。
3日間でしたが、現地でとりくんでみて、大変でしたが、いま、被災したみなさんを支えることが、亡くなった多くの方々のせめてもの弔いになるのかと思ったし、京都に戻った今も、一日一日、精一杯生きていかなければならないと思っています。
現地はほんとうに人手がたりません。できるだけ多くの方に現地に支援にいってほしいと思います。被災地のみなさんの救援のためであることはもちろんですが、同じ日本に生きるものとして、こういうことが起こったということを、自分の目で見て、実感してほしいと願っています。