「福島県再生可能エネルギー推進ビジョン」の改訂版案の説明があり、この関連で質疑が続きました。これまでの原発に象徴される大規模・集中・単一型から、小規模・分散・多様なエネルギー活用であり、しかも地域でお金か循環する「地産地消」型に変える抜本的転換であり、このこと自体をもっと前面に押し出したらどうか、と提案しました。長谷部あつし福島県議 http://hasebe-atushi.sakura.ne.jp/wp/?p=7696
第二原発労働者から「事務棟まで修繕しているのは再稼働の為だ」という複数の話を聞いていたため、東電に質問したところ「今後の扱いについて申し上げる段階になく『未定』」と含みを持たせたものでした。渡辺博之いわき市議 http://jcphiro.exblog.jp/15566045/
仙台市主催の追悼式典に参加。2時46分・・・被災し尊い命を失った方々に,黙とうをささげました。ご遺族代表の言葉や、六郷中、七郷中、高砂中の子どもたちの合唱に涙がとまりませんでした。ふなやま由美仙台市議 http://funayama.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=715
今日は、あの大震災から1年目にあたります。党支部、後援会の方たちと終日募金活動や宣伝活動を行いました。午前は、被災地への支援募金の訴えと原発ゼロをめざす署名活動を行いました。鈴木礼子盛岡市議 http://suzukireiko.typepad.jp/blog/
3月1日は、あの東日本大震災からちょうど一年。様々な思いをしながら、そして涙をしながら、大忙しの1日が過ぎました。一年前、真向いのお宅の長男、37歳の若者が仕事先の山田町で津波にのまれました。今日はその一周忌の法要が営まれました。庄子春治盛岡市議 http://shojiha.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-95d4.html
あの日から一年を迎えました。被災地の声を必死で取り上げてきましたが、いつのときも心の奥に悲しみが沈んでいて、まだ震災前の自分に戻れていないと感じます。それでも、温かく希望の種と思える事柄にいっぱい出会えました。今日はひとつの節目の日となりますが、通過点とも思えます。午後、仙台市の追悼式に参加します。 遠藤いく子宮城県議 http://endou.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=320
2時46分には、国の追悼集会のスクリーン上映に合わせて、黙祷。母と妻と長男を失い、娘夫婦に生まれた子どもと4人で生き抜くという「遺族の追悼の言葉」。そして、七郷・六郷・荒浜の各中学校の未来を歌う『献歌』・・・涙が止まりませんでした。横田有史宮城県議 http://yushi-yokota.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=482
いろいろなことがあり、改めて、話を聞いたり、涙したり、元気をもらったり、そんな一日でした。でも、やはり「ひとつの区切り」になんて1年じゃならない・・・。元の生活を取り戻した人は、どれくらいいるのだろう。花木則彰仙台市議 http://hanaki.air-nifty.com/burari/2012/03/311-3320.html
仙台市追悼式が国際センターで執り行われました。犠牲になられた方々の無念さ、愛するひとたちへの思いを残しながら逝ったひとたちに思いを馳せると涙が溢れ、胸が締め付けられました。嵯峨サダ子仙台市議 http://saga.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=588
あの日から1年、あっという間の1年です。「あの日を忘れない」というのは、被災地にとっては違和感があります。まだ、あの日の延長です。忘れない、どころか、頭から離れません。庄司あかり仙台市議 http://akari-tomosu.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ebfe.html
レポート 被災3県の県議選