宮城県の共産党岩沼市委員会として6日、被災者を訪ねてまわりました。この日訪れたのは岩沼市押分奥山地域。多くの家屋は床上1mの浸水など損傷がひどく住める状態ではありません。それでも、住民の方々からは、復興していきたいという強い気持ちを感じました。
避難所だけでなく自宅でくらして困っている人たちを対象にした救援物資配りや炊き出しを検討していきたいと思います。
対話でだされた声。
・「2300羽の鶏が半分水死した。あと少しで借金を返せるめどがついていたのに、この震災ですべてがだめになった。隣の78歳の男性は逃げ遅れて亡くなってしまった」(83歳の男性)
・「海岸から2キロも離れているのに、防風林が流れてきて家を直撃した」(66歳の男性)
・「車3台がだめになった。電化製品もすべてだめになった。もうここには住みたくない」(31歳の女性)
・「ボランティアに頼んで泥などを片付けてもらっている。今は親戚のところに住んでいる。」(61歳の女性)
・「津波のときは、家の中で水が渦をまいていた。私は庭の松の木にしがみついて助かった。夫は家の柱にしがみついて助かった。海岸の7m近い松が流れ着いている。情報がないので教えてほしい。夜は親戚の家に泊まりにいっている」(68歳の女性)
・「自宅をリフォームしたばかりなのに損傷した。震災のときは車で逃げ、大型店の駐車場で一夜を過ごした」(74歳の男性)
・「物資がない。コメ、ティッシュ、灯油、トイレットペーパーなど。市に話したら、自分で対応してほしいといわれた。店は再開できる見通しがない。電話も復旧していない。救援物資をお願いしたい。毎日カップめんを食べている」(ラーメン店の店主)
・「近くの市営住宅に住んでいるが70戸すべてが床上1mで住めなくなった。これからどうなるか不安」(30代の女性)