日本共産党武蔵野三鷹地区委員会が呼びかけた「宮城県被災者支援第3陣」総勢7人は6月17日深夜、車3台で出発し、18日と19日、宮城県石巻市で支援活動をしました。
1日目は200戸の「向陽町仮設住宅団地」、2日目は津波の傷跡も生々しい住宅地にある「鹿妻(かづま)東公 園」で、計400食のトン汁を提供し、米、果物、衣類などの支援物資を届けました。
3週間滞在している京都、神奈川、東京、千葉の日本民主青年同盟「青年ボランティア」約20人とともに行動しました。
「向陽町仮設住宅団地」の女性(81)は「トン汁はおいしかった。共産党は好きです。テレビの討論会でもはっきりものをいう。大したもんだ」「地震はすごかった。2階に逃げたとたん津波が襲ってきた。ヘリコプターで助けられたあと、家はくるっと一回転して流された。10年前に亡くなったおじいさんと2人で建てようやく借金がなくなったところでした。息子夫婦と孫も助かりました。6年間飼った犬が津波に飲まれたのが心残りです」と話しました。
「職を失った。仕事がなくなれば先立つものもなくなりストレスもたまる。仕事がほしい」「衣類や靴など日用品がほしい。支援にもっときてほしい」「自転車が古いものでも都合つかないか」「被災証明のことで相談に乗ってほしい」などの声が寄せられました。
「鹿妻東公園」では日本共産党石巻市議の三浦さんと会場確保に尽力した町内会長があいさつ。青いシートを10枚ほど敷き詰め支援物資を配布、テントの下でトン汁の炊き出しをしました。
60歳の漁師は「津波で船がなくなり、養殖のわかめもだめになった。うに、あわびの漁をしてきた。原発の影響も心配です。近くに女川原発もあります」と話し、他にも「近くのスーパー3軒が津波で廃業した。遠くのスーパーにいくための足がほしい」「家を修理したいが資材がなく大工さんがきてくれない」「地震以来、3か月。生活がきびしくなってきた。共産党以外の市議会議員は避難所にもきてくれない」との訴えがありました。