大槌町の赤浜地区の仮設住宅へ行き、無料の青空市を開催。あっと言う間に物資が無くなりました。若いお母さん、押し車を押した老夫婦…「ありがたいです」「こんなの初めて」などの反応が(山本きよこ福井県・敦賀市議のブログ)http://yamamotokiyoko.meblog.biz/article/6858673.html #ボランティア
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大槌町の赤浜地区の仮設住宅へ行き、無料の青空市を開催。あっと言う間に物資が無くなりました。若いお母さん、押し車を押した老夫婦…「ありがたいです」「こんなの初めて」などの反応が(山本きよこ福井県・敦賀市議のブログ)http://yamamotokiyoko.meblog.biz/article/6858673.html #ボランティア
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日本共産党福島県議団は29日、佐藤雄平知事と会い県議選後初の定例県議会で、原発災害対策などの大型補正予算案を論議することになる12月議会に申し入れ、2012年度県予算編成に要望。(「赤旗」11月29日付)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-30/2011113004_02_1.html #福島 #原発
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「しんぶん赤旗」 2011年11月29日付
寒気が厳しさを増す被災地、宮城県石巻市内の仮設住宅団地で党支部が誕生します。東部地区は、県議選(13日)の石巻・牡鹿選挙区で初の党議席をかちとった三浦一敏さんが参加する「集い」を25日から始めたのを契機に、28日までに石巻市と女川町で18人の新入党員を迎えました。
(松田大地)
「予想以上に集まった初めての経験で、どう進めればいいか分からないくらいだった」。25日の「集い」で司会役だった地区常任委員の鈴木実さん(石巻市の「党震災・救援対策センター」事務局長)は驚きの表情で振り返ります。石巻市内の仮設住宅団地の集会所を利用した2カ所の開催で計75人もの団地住民が参加したからです。1カ所目で用意したパイプ椅子は5脚だけで、椅子を増やしても足りずに段ボール箱や床に座っての「集い」となりました。
女川町でカキの加工業に携わってきた中川好恵さん=仮名=は石巻市沿岸部の仮設住宅団地でそろって入党した10人のうちのひとりです。「困ったとき一生懸命助けてくれるのが共産党。兄弟全員に頼んで党候補の支持を約束してもらったのよ」と笑顔で語ります。
東日本大震災の被災前から党を支持していたものの、保守的な地域で公然と口にすることはできませんでした。しかし、女川原発による漁業の風評被害が不安です。「子どもたちの代を考えれば原発はなくすべきです。共産党議員を増やさないと世の中は変わらない。もう、団地では(周囲は)気にしない」。夫と一緒に入党を決めました。
同じ団地で入党した女性は、自民党県議らとの地縁・血縁にしばられながらも「自民も民主党も被災地支援が遅すぎる。仮設は息がつまる。住宅再建の問題をはっきりさせないと」と語ります。
被災後、三浦さんは対策センター本部長として党の先頭にたって救援・復興活動に奔走しました。現場の要求にもとづいた政策とともに、保守・無党派層から従来の枠を超えた支持が広がって選挙戦で初勝利。ビラ配布などに尽力した支持者の多くが「政治は変えられる」との思いを強くしていました。
しかし、同選挙区で県議候補を立てたのは10年ぶりで党勢はまだまだ小さいのが現状です。党員も多くが被災し、犠牲者も出ました。「しんぶん赤旗」読者や後援会員のネットワークが寸断されました。
「真の復興や原発ゼロの運動を進めるためには、いま党勢拡大で前進することが大切。それが全国から駆けつけてくれた党のボランティアをはじめ全党への最大の恩返しだ」―。三浦さんが地区委員長を務める東部地区は、24日の地区委員会総会で被災した党組織としての「党勢拡大大運動」の意義を改めて位置づけ、県議選、女川町議選勝利の力で、党勢を大きくする「好循環」をつくりだし、被災者の立場にたった復興をすすめる力にしようと意思統一しました。党創立89周年記念講演ダイジェストDVDを思い切って活用し、選挙戦で支持・協力してくれた仮設住宅の人たちに入党や購読を率直に呼びかける「集い」を開こうと決めました。
ビラや口コミで集まった会場いっぱいの住民らは、「国民の苦難あるところ党あり」の精神にたった戦前からの救援活動を紹介した場面などダイジェストDVDを熱心に見入りました。参加した区長らから党名問題や入党の条件、資格について質問が出るなか、三浦さんは丁寧に答えたうえで思いの丈を込めて訴えました。「被災者の声を国政、県政に届けるため、仮設住宅に党支部をつくりたい。政治を変えるため、一歩踏み出していただきたい」。東部地区に15枚しかなかった入党申込書は同日中に底をつきました。
「集い」は支部の党員を励ましてもいます。「訴えれば広がる。党派を超えた期待に応え、いま頑張らないといけない」などと、次の「集い」の開催やDVDの出前鑑賞会、党勢拡大へと動き出しています。三浦さんや市議が呼びかけ、選挙戦でアナウンサーとして活躍した40代の女性も入党しました。
地区では、今後、新入党員学習や県議会傍聴などを計画。仮設住宅の支部創設には、担当も決め、丁寧に援助することを確認しました。地域住民の声を国・県市政に反映させる「支部が主役」の党づくりへ意気込んでいます。
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「しんぶん赤旗」2011年11月27日付
日本共産党は、20日投開票の福島県議選で、改選前の3議席から5議席に伸ばし、12年ぶりに、代表質問ができる「交渉会派」となる躍進をしました。いわき市区(定数10)では、宮川えみ子(65)=現=、長谷部あつし(52)=元=両候補が高位で当選しました。同選挙区で8期連続で議席を維持してきたなか、前回から2人を立て、念願の2議席を初めて実現しました。
(秋山強志、浜中敏)
「今回だけは共産党に入れてしまった。自民も民主もあてにできない」。ずっと自民党を応援してきたタイヤ販売業の男性(64)は初めて、家族と一緒に長谷部さんに投票しました。「原発をこのままにしていたら日本の未来はない。変えないといけない。そう考えたら共産党しかなかった」
宮川、長谷部両候補の得票合計は2万2368票(得票率18・41%)で、前回より3・06ポイント伸ばし、同区に立候補した民主党候補3人(2人が落選)の得票合計を上回りました。参院比例比で2・33倍に伸ばしました。
いわき市は、東京23区の2倍の広さで、一部が原発事故のおきた東京電力福島第1原発から30㌔圏内に入っています。日本共産党は、除染、全面賠償、原発ゼロの政策を示して、「国・東電にはっきりものが言える日本共産党候補への1票で政治を変えよう」と訴えました。
2児の母で、すべての子どもとお母さんに放射線の線量計を貸し出してほしいと1カ月で8700人の署名を集めた「放射能から子どもを守るいわきママの会」代表の菅波好恵さん(29)は、宮川さんの「子どもの周りの放射能軽減策は急いで何でもやるべき」と書いた議会報告を見て、事務所を訪ねました。「共産党は〝子どもたちを守りたい〟というママたちの願いを届けるためにがんばり、一緒に行動してくれた。今、一番頼りになる政党だと思います」。宮川さんの候補者カーに乗り、アナウンサーも引き受けました。
重度障害者の自立を支援するNPO法人の長谷川秀雄さんは、「県民の意思を示すため、一貫して原発からの撤退を主張してきた日本共産党が、原発からの脱却を願う人たちの願いの受け皿になってほしい」と、長谷部候補のビラに登場し「思想・信条を超えて応援したい」と呼びかけました。
長年、自民党員だった70代の男性は、自民党を支持してきた仲間に初めて共産党候補の支持を頼みました。「原発廃炉は県民にとって当然の願い。共産党は県議会で『廃炉にすることを求める請願』採択でがんばった」。10人が支持を約束しました。
いわき市では、大津波で三百数十人が死亡・行方不明になりました。4月11、12日にも、同市南部の二つの断層が動いて発生した誘発地震で、続けて震度6弱の揺れに襲われ、全12万7千世帯のうち、建物7万6千棟が損壊の被害を受けました。
日本共産党いわき・双葉地区委員会は、3月11日の直後から、津波・震災の被災地をめぐり、住民の声を聞き、その声を市や県や国に届けました。県内や近畿など全国からのボランティアの力を借り、のべ2千人が救援活動に参加しました。
宮川候補は、毎日リュックを背負って地域を回り、活用できる支援制度や放射線量の情報を知らせながら、要望を聞き、相談活動にとりくんできました。
長谷部候補は、要望聞き取りなどの先頭に立ちながら、放射能汚染にたいする市民の不安に応えるため、大学の理学部で学んだ経験も生かし、放射能・原発問題の学習会で講師を務めました。
内郷・好間(よしま)地域の党と後援会は、被災直後から動きました。毎朝事務所に集まり、水や炊き出しのおにぎり、みそ汁を被災者に届け、6月からは放射線測定を毎週実施。バス停、公園、ごみ集積所、個人宅の線量を記録し、住民に知らせると感謝され、原発撤退署名は1800人分を超えました。
高坂支部長の馬上(もうえ)勇孝さん(68)は「選挙で支持を訴えると『共産党は一番つらいときに救援活動をやってくれた』と日常の活動を評価してくれました。選挙結果を伝えに行くと『私もがんばって広げた』と何人かから言われました」。支持を広げるとともに、棄権防止活動では、いつもの2倍の活動ができたと言います。
宮川、長谷部両候補を先頭に、市民の要望を国、県に届けました。日本共産党の県への申し入れは24回にのぼりました。
家のがれき処理は、最初は津波被害者だけだったのが、「おかしい」と要望して地震の被害者にも拡大させ、物置も対象に広げました。避難者のための民間の借り上げ住宅への家賃補助は、家族の多い人は限度額を6万円から9万円に引き上げ、入居した時点にさかのぼって実施されるようになりました。
党の国会議員、県議団と連携し、災害救助制度の柔軟な対応を政府に約束させ、住民の要求に沿う形で施策が次々と改善されていったため、市の幹部が「(国の方針に沿って)みなさんにお答えしているのに、どんどん変わってしまう。私はまるでウソをついているみたいだ」とこぼしたと言います。
選挙戦では、党員らは、「苦難あるところ日本共産党あり」の立党の精神をかみ締めながら選挙をたたかうことができました。宮川選対事務局長を務めた佐野正利さんは、「住民みんなの要求を政策にして訴えていった選挙です。このなかで党員が市民から励まされたり、お礼を言われたり、役に立っていると実感しながらたたかえました」。
10月15日には市田忠義書記局長が、放射能汚染で漁に出られない、いわき市漁協と懇談し、漁の再開や海中がれきの撤去などの要望を聞きました。
漁業関係で働く女性は「自分たちは30年間ずっと自民党を支持してきた。いざとなったら誰が一番漁師に力を貸してくれるかわかった」と党候補への支持を表明し、郵送で支持カード45人分を送ってくる人、79人の支持を広げた人など、漁業関係者の間に大きな変化が生まれました。
地区党組織は、党への信頼と共感が広がり、市民との垣根が低くなって、「声かけ」の総量を圧倒的に増やすことを重視しました。支部会議で記念講演ダイジェストDVDを視聴し、「担い手」を広げる努力をしました。このDVDを見て、入党申込書を持ってきた人もいます。志位和夫委員長(11月13日)、市田忠義書記局長(10月15日)を迎えた街頭演説(各2カ所ずつ)を過去最高規模で成功させ、2人当選への確信が広がり、活動に勢いがつきました。4月から「赤旗」読者を連続して前進させてきたことも力になりました。
重い病気のために入院しなければならない党員が、入院前に知り合いに当たり、70人以上に支持を広げました。「なんとしてもがんばりたい」と支部会議で思いを吐露し、みんなを奮い立たせました。
医療生協の後援会は、資料を届けた会員4000人に当たりきり、地域の有力な組合員が力を発揮して、新たな「担い手」になって支持を広げました。県の有力な幹部であった人から、同後援会の役員に、「長谷部君の存在価値はまさにいまだと思う」とエールが届きました。
自動車販売業を営む男性(42)は言います。「共産党はいい意見を持っているが、力が弱かった。おいしい料理の具材なのに、鍋にふたされて国民は食べさせてもらえなかった。震災でふたが取れましたね。期待しています」
党が選挙で公約した「18歳までの医療費無料化」について、佐藤雄平知事が選挙最終日に、18歳以下の福島県民の医療費無料化を政府に求めるという動きがありました。24日には、野田首相が知事に「検討」を表明。選挙中の党の主張が、はやくも政治を動かし始めています。
Posted at 17:36 | Permalink
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東通原発(青森県)の敷地内に多数の活断層が存在することが確実だとする分析結果があきらかに。25日から千葉大学で開かれる日本活断層学会の学術大会で研究チームが詳細を発表します。(しんぶん赤旗11月25日付)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-25/2011112514_02_1.html #原発
Posted at 16:53 in 原発災害 | Permalink
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宅地地盤被害への支援制度について、仙台市が国の新制度の適用の方向へ。公共事業として復旧するものが第一の柱で被災宅地の約8割が救済されるというもの/五島たいら宮城県党書記長のブログ http://96032827.at.webry.info/201111/article_3.html #支援
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11月24日、原発ゼロめざす署名を持ちより、田村智子参院議員、笠井亮衆院議員に手渡しました。全都各地から88人があつまり、この日集約された署名が55180筆/東京都港区・いのくま正一前区議 http://jcp-minatokugidan.gr.jp/inokuma/2011/11/post-223.html #原発
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区が放射線測定器を購入しPTAや町会などへ貸し出す方針であることが、高畑久子区議の本会議質問への区長答弁で明らかに。27日には、さよなら原発ラリー&パレード@礫川公園午後2時スタート。金子てるよし文京区議のブログ http://terukaneko.exblog.jp/17068791/ #原発
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11月23日、第5回目の放射能測定を高石団地周辺の公園で。いっしょに測定を手伝ってくださった方もいました。高石4丁目公園:5㎝で0,061マイクロシーベルト/時など。測定結果は、かつまたみつえ川崎市議のブログ→ http://www.katsumata-mitsue.jp/archives/1112 #原発
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「しんぶん赤旗」 2011年11月22日付
東日本大震災・原発災害の影響で延期されていた被災東北3県のいっせい地方選挙で、最後となる福島県議選が20日投開票され、日本共産党は3議席から5議席に躍進し、県議会第3党となりました。地元紙も「共産は五議席を獲得し、十二年ぶりに交渉会派となる見通し。代表質問の機会を得るほか、代表者会議の構成員ともなる。議会運営に対する発言が強まることは必至だ」(「福島民報」21日付)と報じるなど、党の躍進に注目が集まっています。
(原田浩一朗)
福島県民は約200万人。約15万人が、いまも住みなれたわが家を離れているという状況での選挙となりました。
原発に対する県民の意識は、3月11日を境に激変。怒りの矛先は、「安全神話」をふりまいて、原発事故をひきおこした東京電力と、長年にわたり国策として原発を推進してきた国に向けられています。
10月の県議会で「県内にある10基の原子炉全てを廃炉にすることを求める請願」が、全会一致で採択された(東北電力出身の民主党議員や自民、無所属の5人が退席)のは、その象徴です。
10月30日に福島市内で開かれた、「なくせ!原発 ふくしま大集会」に、県内外から1万人を超える人々が集い、「徹底した除染で放射能から子どもたちを守れ」「精神的損害も含め、すべての損害を賠償せよ」「原発はゼロに」とアピールしたことは、「オール福島」の願いを形にし、全国に発信するものになりました。
日本共産党は、この県議選に7人の候補(推薦を含む)を立て、「『オール福島』の願いをかなえるには、どの党を伸ばせばいいか」と正面から問い、「この願いを込めた一票は、国と東京電力にはっきりものがいえる日本共産党の候補者にたくしてほしい」と訴えました。
ほとんどの党派、候補者が放射能の「除染」を訴え、多くが「賠償」を唱えました。
これにたいし、日本共産党は、実際に線量計を持って地域の放射線量を計り、それをマップにして住民に届けるだけでなく、市や県、国にも働きかけ、「行政の責任で詳細に放射線量を測定させ、徹底した除染をさせましょう」と住民に呼びかけました。県民の命と生活を守る献身的な党の姿に共感がよせられました。
また、巨額になる除染と賠償費用をどう捻出するかという財源問題では、原発を推進してきた東京電力など電力会社、原発で大もうけしてきた大企業に応分の負担を求めることを有権者に訴えました。
「さすがは『原発マネー』に無縁な党ですね」と新鮮な共感が広がり、「今度は共産党」という人が、これまで保守的な立場だった人や、従来の政党支持の枠を超えて広がり、5人当選の力となりました。
他党の議席は、自民党が改選前を1議席上回る27議席となりましたが、目標としていた過半数の30議席には届かず、民主党は15議席で改選時から1議席減らしました。「数的には1減だが、県連三役のうち、2人が落選の惨敗」(民主県連関係者)でした。
公明党は、3議席を維持、社民党は2議席から1議席に後退し、みんなの党は県議会初の1議席を得ました。
県民の意識の激変に押されて原発政策を転換した各党県連と、国政では転換できていない各党本部との間には深刻な矛盾が生まれました。
政権与党で県知事与党の民主党と、県議会最大会派の自民党の「二大政党」が、そろって党本部の応援弁士を要請しなかった事にもあらわれました。
公明党の山口那津男代表、井上義久幹事長が応援に来ましたが、2年前に政権交代するまで、10年間にわたって、自民党と連立政権を組み、原発を推進してきたことには頬かむりしました。
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