「しんぶん赤旗」 2011年11月29日付
寒気が厳しさを増す被災地、宮城県石巻市内の仮設住宅団地で党支部が誕生します。東部地区は、県議選(13日)の石巻・牡鹿選挙区で初の党議席をかちとった三浦一敏さんが参加する「集い」を25日から始めたのを契機に、28日までに石巻市と女川町で18人の新入党員を迎えました。
(松田大地)
「予想以上に集まった初めての経験で、どう進めればいいか分からないくらいだった」。25日の「集い」で司会役だった地区常任委員の鈴木実さん(石巻市の「党震災・救援対策センター」事務局長)は驚きの表情で振り返ります。石巻市内の仮設住宅団地の集会所を利用した2カ所の開催で計75人もの団地住民が参加したからです。1カ所目で用意したパイプ椅子は5脚だけで、椅子を増やしても足りずに段ボール箱や床に座っての「集い」となりました。
女川町でカキの加工業に携わってきた中川好恵さん=仮名=は石巻市沿岸部の仮設住宅団地でそろって入党した10人のうちのひとりです。「困ったとき一生懸命助けてくれるのが共産党。兄弟全員に頼んで党候補の支持を約束してもらったのよ」と笑顔で語ります。
住宅再建早く
東日本大震災の被災前から党を支持していたものの、保守的な地域で公然と口にすることはできませんでした。しかし、女川原発による漁業の風評被害が不安です。「子どもたちの代を考えれば原発はなくすべきです。共産党議員を増やさないと世の中は変わらない。もう、団地では(周囲は)気にしない」。夫と一緒に入党を決めました。
同じ団地で入党した女性は、自民党県議らとの地縁・血縁にしばられながらも「自民も民主党も被災地支援が遅すぎる。仮設は息がつまる。住宅再建の問題をはっきりさせないと」と語ります。
被災後、三浦さんは対策センター本部長として党の先頭にたって救援・復興活動に奔走しました。現場の要求にもとづいた政策とともに、保守・無党派層から従来の枠を超えた支持が広がって選挙戦で初勝利。ビラ配布などに尽力した支持者の多くが「政治は変えられる」との思いを強くしていました。
しかし、同選挙区で県議候補を立てたのは10年ぶりで党勢はまだまだ小さいのが現状です。党員も多くが被災し、犠牲者も出ました。「しんぶん赤旗」読者や後援会員のネットワークが寸断されました。
全党に恩返し
「真の復興や原発ゼロの運動を進めるためには、いま党勢拡大で前進することが大切。それが全国から駆けつけてくれた党のボランティアをはじめ全党への最大の恩返しだ」―。三浦さんが地区委員長を務める東部地区は、24日の地区委員会総会で被災した党組織としての「党勢拡大大運動」の意義を改めて位置づけ、県議選、女川町議選勝利の力で、党勢を大きくする「好循環」をつくりだし、被災者の立場にたった復興をすすめる力にしようと意思統一しました。党創立89周年記念講演ダイジェストDVDを思い切って活用し、選挙戦で支持・協力してくれた仮設住宅の人たちに入党や購読を率直に呼びかける「集い」を開こうと決めました。
ビラや口コミで集まった会場いっぱいの住民らは、「国民の苦難あるところ党あり」の精神にたった戦前からの救援活動を紹介した場面などダイジェストDVDを熱心に見入りました。参加した区長らから党名問題や入党の条件、資格について質問が出るなか、三浦さんは丁寧に答えたうえで思いの丈を込めて訴えました。「被災者の声を国政、県政に届けるため、仮設住宅に党支部をつくりたい。政治を変えるため、一歩踏み出していただきたい」。東部地区に15枚しかなかった入党申込書は同日中に底をつきました。
支部を励ます
「集い」は支部の党員を励ましてもいます。「訴えれば広がる。党派を超えた期待に応え、いま頑張らないといけない」などと、次の「集い」の開催やDVDの出前鑑賞会、党勢拡大へと動き出しています。三浦さんや市議が呼びかけ、選挙戦でアナウンサーとして活躍した40代の女性も入党しました。
地区では、今後、新入党員学習や県議会傍聴などを計画。仮設住宅の支部創設には、担当も決め、丁寧に援助することを確認しました。地域住民の声を国・県市政に反映させる「支部が主役」の党づくりへ意気込んでいます。