「しんぶん赤旗」2011年11月27日付
日本共産党は、20日投開票の福島県議選で、改選前の3議席から5議席に伸ばし、12年ぶりに、代表質問ができる「交渉会派」となる躍進をしました。いわき市区(定数10)では、宮川えみ子(65)=現=、長谷部あつし(52)=元=両候補が高位で当選しました。同選挙区で8期連続で議席を維持してきたなか、前回から2人を立て、念願の2議席を初めて実現しました。
(秋山強志、浜中敏)
「今回だけは共産党に入れてしまった。自民も民主もあてにできない」。ずっと自民党を応援してきたタイヤ販売業の男性(64)は初めて、家族と一緒に長谷部さんに投票しました。「原発をこのままにしていたら日本の未来はない。変えないといけない。そう考えたら共産党しかなかった」
参院比例比で得票2・33倍
宮川、長谷部両候補の得票合計は2万2368票(得票率18・41%)で、前回より3・06ポイント伸ばし、同区に立候補した民主党候補3人(2人が落選)の得票合計を上回りました。参院比例比で2・33倍に伸ばしました。
いわき市は、東京23区の2倍の広さで、一部が原発事故のおきた東京電力福島第1原発から30㌔圏内に入っています。日本共産党は、除染、全面賠償、原発ゼロの政策を示して、「国・東電にはっきりものが言える日本共産党候補への1票で政治を変えよう」と訴えました。
子ら守りたい今一番頼りに
2児の母で、すべての子どもとお母さんに放射線の線量計を貸し出してほしいと1カ月で8700人の署名を集めた「放射能から子どもを守るいわきママの会」代表の菅波好恵さん(29)は、宮川さんの「子どもの周りの放射能軽減策は急いで何でもやるべき」と書いた議会報告を見て、事務所を訪ねました。「共産党は〝子どもたちを守りたい〟というママたちの願いを届けるためにがんばり、一緒に行動してくれた。今、一番頼りになる政党だと思います」。宮川さんの候補者カーに乗り、アナウンサーも引き受けました。
重度障害者の自立を支援するNPO法人の長谷川秀雄さんは、「県民の意思を示すため、一貫して原発からの撤退を主張してきた日本共産党が、原発からの脱却を願う人たちの願いの受け皿になってほしい」と、長谷部候補のビラに登場し「思想・信条を超えて応援したい」と呼びかけました。
長年、自民党員だった70代の男性は、自民党を支持してきた仲間に初めて共産党候補の支持を頼みました。「原発廃炉は県民にとって当然の願い。共産党は県議会で『廃炉にすることを求める請願』採択でがんばった」。10人が支持を約束しました。
震災直後から住民の声聞き
いわき市では、大津波で三百数十人が死亡・行方不明になりました。4月11、12日にも、同市南部の二つの断層が動いて発生した誘発地震で、続けて震度6弱の揺れに襲われ、全12万7千世帯のうち、建物7万6千棟が損壊の被害を受けました。
日本共産党いわき・双葉地区委員会は、3月11日の直後から、津波・震災の被災地をめぐり、住民の声を聞き、その声を市や県や国に届けました。県内や近畿など全国からのボランティアの力を借り、のべ2千人が救援活動に参加しました。
宮川候補は、毎日リュックを背負って地域を回り、活用できる支援制度や放射線量の情報を知らせながら、要望を聞き、相談活動にとりくんできました。
長谷部候補は、要望聞き取りなどの先頭に立ちながら、放射能汚染にたいする市民の不安に応えるため、大学の理学部で学んだ経験も生かし、放射能・原発問題の学習会で講師を務めました。
内郷・好間(よしま)地域の党と後援会は、被災直後から動きました。毎朝事務所に集まり、水や炊き出しのおにぎり、みそ汁を被災者に届け、6月からは放射線測定を毎週実施。バス停、公園、ごみ集積所、個人宅の線量を記録し、住民に知らせると感謝され、原発撤退署名は1800人分を超えました。
高坂支部長の馬上(もうえ)勇孝さん(68)は「選挙で支持を訴えると『共産党は一番つらいときに救援活動をやってくれた』と日常の活動を評価してくれました。選挙結果を伝えに行くと『私もがんばって広げた』と何人かから言われました」。支持を広げるとともに、棄権防止活動では、いつもの2倍の活動ができたと言います。
宮川、長谷部両候補を先頭に、市民の要望を国、県に届けました。日本共産党の県への申し入れは24回にのぼりました。
家のがれき処理は、最初は津波被害者だけだったのが、「おかしい」と要望して地震の被害者にも拡大させ、物置も対象に広げました。避難者のための民間の借り上げ住宅への家賃補助は、家族の多い人は限度額を6万円から9万円に引き上げ、入居した時点にさかのぼって実施されるようになりました。
党の国会議員、県議団と連携し、災害救助制度の柔軟な対応を政府に約束させ、住民の要求に沿う形で施策が次々と改善されていったため、市の幹部が「(国の方針に沿って)みなさんにお答えしているのに、どんどん変わってしまう。私はまるでウソをついているみたいだ」とこぼしたと言います。
選挙戦では、党員らは、「苦難あるところ日本共産党あり」の立党の精神をかみ締めながら選挙をたたかうことができました。宮川選対事務局長を務めた佐野正利さんは、「住民みんなの要求を政策にして訴えていった選挙です。このなかで党員が市民から励まされたり、お礼を言われたり、役に立っていると実感しながらたたかえました」。
10月15日には市田忠義書記局長が、放射能汚染で漁に出られない、いわき市漁協と懇談し、漁の再開や海中がれきの撤去などの要望を聞きました。
漁業関係で働く女性は「自分たちは30年間ずっと自民党を支持してきた。いざとなったら誰が一番漁師に力を貸してくれるかわかった」と党候補への支持を表明し、郵送で支持カード45人分を送ってくる人、79人の支持を広げた人など、漁業関係者の間に大きな変化が生まれました。
街頭演説が力勢いがついた
地区党組織は、党への信頼と共感が広がり、市民との垣根が低くなって、「声かけ」の総量を圧倒的に増やすことを重視しました。支部会議で記念講演ダイジェストDVDを視聴し、「担い手」を広げる努力をしました。このDVDを見て、入党申込書を持ってきた人もいます。志位和夫委員長(11月13日)、市田忠義書記局長(10月15日)を迎えた街頭演説(各2カ所ずつ)を過去最高規模で成功させ、2人当選への確信が広がり、活動に勢いがつきました。4月から「赤旗」読者を連続して前進させてきたことも力になりました。
重い病気のために入院しなければならない党員が、入院前に知り合いに当たり、70人以上に支持を広げました。「なんとしてもがんばりたい」と支部会議で思いを吐露し、みんなを奮い立たせました。
医療生協の後援会は、資料を届けた会員4000人に当たりきり、地域の有力な組合員が力を発揮して、新たな「担い手」になって支持を広げました。県の有力な幹部であった人から、同後援会の役員に、「長谷部君の存在価値はまさにいまだと思う」とエールが届きました。
自動車販売業を営む男性(42)は言います。「共産党はいい意見を持っているが、力が弱かった。おいしい料理の具材なのに、鍋にふたされて国民は食べさせてもらえなかった。震災でふたが取れましたね。期待しています」
党が選挙で公約した「18歳までの医療費無料化」について、佐藤雄平知事が選挙最終日に、18歳以下の福島県民の医療費無料化を政府に求めるという動きがありました。24日には、野田首相が知事に「検討」を表明。選挙中の党の主張が、はやくも政治を動かし始めています。