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3・11、あの日―宮城県塩釜市の坂総合病院は、ライフラインが遮断されたなかで地域住民の「命のとりで」となりました。同病院の日本共産党青年支部の会議を市田忠義書記局長が訪ねました。新しい年―「笑顔があふれ幸多き年に」と語りあいました。/「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-03/2012010301_02_1.html
レポート 被災3県の県議選