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今日は、あの大震災から1年目にあたります。党支部、後援会の方たちと終日募金活動や宣伝活動を行いました。午前は、被災地への支援募金の訴えと原発ゼロをめざす署名活動を行いました。鈴木礼子盛岡市議 http://suzukireiko.typepad.jp/blog/
3月1日は、あの東日本大震災からちょうど一年。様々な思いをしながら、そして涙をしながら、大忙しの1日が過ぎました。一年前、真向いのお宅の長男、37歳の若者が仕事先の山田町で津波にのまれました。今日はその一周忌の法要が営まれました。庄子春治盛岡市議 http://shojiha.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-95d4.html
あの日から一年を迎えました。被災地の声を必死で取り上げてきましたが、いつのときも心の奥に悲しみが沈んでいて、まだ震災前の自分に戻れていないと感じます。それでも、温かく希望の種と思える事柄にいっぱい出会えました。今日はひとつの節目の日となりますが、通過点とも思えます。午後、仙台市の追悼式に参加します。 遠藤いく子宮城県議 http://endou.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=320
2時46分には、国の追悼集会のスクリーン上映に合わせて、黙祷。母と妻と長男を失い、娘夫婦に生まれた子どもと4人で生き抜くという「遺族の追悼の言葉」。そして、七郷・六郷・荒浜の各中学校の未来を歌う『献歌』・・・涙が止まりませんでした。横田有史宮城県議 http://yushi-yokota.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=482
いろいろなことがあり、改めて、話を聞いたり、涙したり、元気をもらったり、そんな一日でした。でも、やはり「ひとつの区切り」になんて1年じゃならない・・・。元の生活を取り戻した人は、どれくらいいるのだろう。花木則彰仙台市議 http://hanaki.air-nifty.com/burari/2012/03/311-3320.html
仙台市追悼式が国際センターで執り行われました。犠牲になられた方々の無念さ、愛するひとたちへの思いを残しながら逝ったひとたちに思いを馳せると涙が溢れ、胸が締め付けられました。嵯峨サダ子仙台市議 http://saga.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=588
あの日から1年、あっという間の1年です。「あの日を忘れない」というのは、被災地にとっては違和感があります。まだ、あの日の延長です。忘れない、どころか、頭から離れません。庄司あかり仙台市議 http://akari-tomosu.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ebfe.html
一年はとても一年ではなく、つい昨日のように脳裏に浮かぶのです。突然、大切な家族を亡くされた方々の心痛を思うと本当に悲しい。わたしたちは今、何をなすべきか。政治に携わるものとしての責任は重大です。高見のり子仙台市議 http://takami.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=1259
あの日から一年...早くて、長い一年でした。今日は、まず一番に荒浜に行ってみました。元の場所に住みたいと願う人たちの思いが込められた黄色いハンカチがマストのように20本以上建てられていました。福島かずえ前仙台市議 http://fukukaze.air-nifty.com/blog/2012/03/post-1e49.html
あれから一年。復旧・復興はまだまだ時間がかかりそうです。震災でなくなられた方々への追悼とともに、あらためて被災者の生活と生業の再建へのスタートを誓う大事な一日となりました五島たいら宮城県委員会書記長 http://96032827.at.webry.info/201203/article_6.html
レポート 被災3県の県議選